僕はゲーム制作をしている期間はわりと長く、長くやっていればたまにスランプはある。だけど筆を折ったり…とか、そこまで激しいものになったことはない。
Twitterのタイムラインを見ていると、自分が創作する意味が分からなくなったり、膨大な時間をかけてゲ制したことに対して虚無感を感じてしまう人をたまに見かける。
僕の体感だけど、そういう人は「承認欲求」が強めな人が多いかもしれない。
別に虚しさや絶望感を感じている人がダメというわけではないし、他者からの承認が欲しい人を僕は否定する気は全くないのだけど(というか人それぞれ価値観が違うので良いも悪いもなく、僕は他人の価値観にそこまで執拗な興味がわかない。それぞれが自分の思考を大事にして生きたらいいと思っているので。)、承認欲求が強いと、どうしても「他人に振り回される」人生にはなりそう。
この働きがプラスとなれば、社会的地位やら何やらを求めてパワーが出せるかもしれないけど、ひとたびマイナス方向に働けば、他人の評価に振り回されて、自分が本当は何を望んでいるかが分からなくなってしまう。混乱してしまう。パニックになってしまう。
で、ストレスを抱えて病む。
心が折れそうになったり充実感を感じられなくなった人は、いったん深呼吸して、自分の心の在り方を再確認する時間を長めにとった方がよいかもしれないですね。ノートに不安なことや改善したら自分が楽しくなるようなことを書き出してみるとか、可視化するとけっこう有効ですね。
「急がば回れ」で、一見無駄とも思える内省の時間が後で活きてくることも多いですからねえ。
僕がつくづく思うのは、人間は本人が向いていることをやらないと相性の良い人に出会いにくかったり、ウツになったりしやすいなということ。言い換えれば「死」の方向に加速するということ。
本人の性質に合わないことをやっている人は、ストレスで白髪が増えたり肌が荒れたりして、実年齢より老けて見えることが多いですね…あれも「老化スピードが早い=急速に死に向かっている」とも言えるかも。
「承認欲求」強めな人・欲しい人で他人の価値観にどうしても振り回されてしまっている人は、思い切ってそれを手放してみると、意外と簡単に欲しかったものが手に入るかもしれないですね。執着するから、相手は離れていく。手放すと、向こうからやってくる。
そういえば100歳以上まで生きた僕のばーちゃんも、晩年は執着のなかった人だったと思う。80歳くらいのとき「もう十分生きたから、いつお迎えが来てもいいんだよ」と笑顔で言っていたのを記憶していますが、それから20年も元気に生きた。認知症にもならずに。
「死」を恐れるあまり「生」がスポイルされてしまうのではなく、「生への執着」を手放したがゆえに、尋常ならざる生命力で晩節を汚さず生きたのかもしれないですね。
自分を縛っている何かへの執着を手放すと、自分が本来持っている生命力が湧いてきて、たくましく生きられるようになりそうだ。