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えふたブログ

「えふたらぼ」管理人T-FTA(てぃー・えふた)のブログです。 普段思ったことを、思考整理も兼ねて、ただただつらつらと書き連ねます。またライティング練習のため、たまに英語でブログを書きます。 I'm a Japanese who learns English. In order to improve my English skill, I've decided to write blogs in English. I sometimes make mistakes such as writing wrong words or choosing incorrect grammar. If you find those mistakes, please be kind and accept it(^_^). Thank you.

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「浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない」いい言葉だな、これ

2022年になった辺りからかな、ずーっと心の奥底がモヤッとしていたのだけど、その原因がちょっと分かった気がしたので、自分の思考をまとめるためにも文章にしてみることにする。

まず僕は、ゲーム、特にRPGが好きだ。というよりゲームはRPG以外ほとんどやらないと言っても過言ではない(アクションゲームの名作であるマリオやロックマンなど、有名で質の高いものはプレイするし楽しい。ロックマンだと9、10が特に好きだ)

で、このRPGというジャンル、作るのにとんでもなく手間と労力がかかる。僕は「タイルセット」などの画像アセットを購入して(仕入れて)、それを加工して2D-RPGのマップを作ったり、あるいはバトルシステムを組んだりするなど、ある程度の事を自前で用意できる部分がある。しかし
イラストなどは描けないので外注をすることがある(昔ちょっと描いていたけど挫折した、また趣味で描き直す日が来るかも)。

別に外注をすることは全然問題ない。そもそもこのクリエイターさんが好き、とか、応援したいな、という気持ちがあって外注するし、外注先は普段の活動等や実績を見てじっくり検討してからご連絡する。だからその人にお金が入ること自体は嬉しく思う。

ただ規模が大きくなると、RPG制作はお財布をどんどん圧迫していくことになる。
今この記事を書いている時点では、僕の制作規模など別に大したことはない。高くても数十万円。一度海外旅行に行けばこのくらいは軽くかかるし、他の趣味でも一年にこの程度を使う人は珍しくないだろう。

しかし自作品を販売してからというもの「赤字になる」…つまり損益分岐点を越えずコスト回収ができないことに、僕は少々ためらいを覚えるようになった。本当は外注規模をもっと増やしてクリエイターさんの経済をいくらかでも回したいと思っているが、それを躊躇し「こうしたらもっと注目されるんじゃないか(=黒字を保てるんじゃないか)」「ここはお金がかかるから減らそう…」など「打算的に」考えるようになってしまった。
別に打算的な思考を否定しているわけではないのだけど、こうなると以前やっていたようなフリーゲーム(作ったものを無料公開すること)の活動をしていた時の方が、充実していたように思えてもくる…ぜいたくな悩みかもしれないが。

思うにバランスを欠いてしまえば、足元がおぼつかなくなるのも当然至極な話だ。だから僕はゲ制に対して僕が大切にしたい様々な事を満たせるよう、工夫をしていきたいなと思う。

まず「自分が楽しむ」…これは大切。これがないとほぼ間違いなく続かない。
僕の知り合いで広告収入目的でYouTubeを始めた方が何人かいるが、軒並み止めてしまっている。それは「撮影・編集・ネタ出し」などの「労力」の割に合っていないからだ(2022年時点で、広告収入が取れる条件の一つであるチャンネル登録者数1000人が、実を言うとけっこうハードルが高いらしい。僕は見る専門だからあまり知らなかったけど。)

お金は確かに大切なのだけど、それだけだとどうしてもモチベーションは続きづらいし、精神的な負担も相当だろう。細々とでも長く続けたいのなら、自分がその活動をとことん楽しむことだ。まずこれがファースト。

そしてそれを土台にした上でお金の計算をしていけばいい。何なら自分が表現したいことをするために、多少の赤字になったっていい。別に大手企業様のように億単位のプロジェクトを動かしているわけではないのだ。自分の生活に大きな支障が出るほどの赤字でなければ問題ない。
海外旅行だって、単純にお金の動きだけ見れば「赤字」だ。しかし旅行という貴重な体験を積めて楽しめたのだから、そのお金は「生き金」だ。
「浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない」(英哲学者の言葉)のと同じなのだ。

どうも2022年に入ってからの僕は「まず自分が楽しむ」ということを疎かにしていたように思う。「自分が楽しい」と思う気持ちは、相手に伝わる。それを以って相手が良い気分になってくれたらそれでいいではないか。
お金のことを考えるあまり、僕はバランスを欠いていた。「楽しむ」ことをまず最優先に、今後もやっていけたらと思う。
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エロについてちょっと書く

僕は、いわゆる18禁のアダルト作品(これまた"いわゆる"「男性向け」「女性向け」の区分問わず)を見ても嫌悪感はわかないし、何なら世の中にこのような「猥雑な」作品もあってよいと思ってる(何なら"あるべき"と言ってもよいが、"べき"(英語で言うところのmust)は押しつけがましい印象があるので、まああまり使わないでおこう)。

たぶん僕はわりとどんな「特殊性癖」と呼ばれるものも、何でも受け入れて楽しめてしまう人間なんじゃないかなあと思うのだ。唯一(?)苦手なのが、人の体が切断されていたり血が流れるものなんだけど、それは単に僕が苦手なだけで、それを作っている作者様方及びそういう作品が好きな方々を嫌悪はしない。別にええやん、人の好みなんてそれぞれなんだから、としか思ってない。

「特殊性癖」と言えば、そもそも性癖に「普通」とか「特殊」なんて区分があるのかっていつも思ってるんだよね。「普通」を「普遍的に通じているもの=昔の人間も今の人間も変わらず持っているもの」と解釈するならば、どんなアブノーマルな嗜好も「普通」になる。だって人間の脳みそや本能は太古からそこまで変わってないし(変わっているのは「社会=周囲の環境」の方)、本能が急激に変化するとも思えない。例えばSMなんて古代ギリシャの時代からあるしねえ(しかもけっこうエロいやつ。昔の人間もSM好きだったんだなーって思うと、何だか妙な感慨深さがある^^;)。

100人いれば100通りのエロがあると言われるけど(ごめん、言われてない。僕がいま勝手に書いた(笑)、まあそんなことはさておき)、アブノーマル(これもちょっと謎ワードだが)な性癖がこれでもかというほど世の中に、こっそり、裏で存在しているのは、それが人間の本能に根差しているからじゃないかなあと僕は思っているのだ。そして本能というものは必要だからこそ太古から残っていると思っている僕は(だって理性で簡単に消せたら本能の役目なんて果たせないし)、人間の多種多様な「特殊性癖」を見て、人間の底力、奥深さを感じる。非常に多種多様な者の存在を内包しているからこそ、人間って強いんじゃない?とすら思うのだ。だから僕は多様なエロをあまり否定したくないと思っている。

一応念のため付け加えておくと、例えばSMプレイとかはもちろん双方の同意があって行う"べき"(あえてこう書く)ですね。同意がないと危ないし、色々問題あるからねー。ただ信頼関係の下で双方の同意があれば、そういうプレイを楽しんでもいいんじゃないですかね?他人がいちいち口出すことですかね?と思う。創作物もそうですね。SMを描くのが好きな人がいて、それを読むのが好きな人の気持ちは、できるだけ尊重したいよね。だから世の中に色々な作品があってよいと僕は常々思ってる。

あとこれは余談だけど「(上述の通り、切断系とか血が流れるやつを除けば)基本的に何でもいける」僕としては、一つの"ジャンル"を深く極めている人は何だか見ていて面白いというか、ちょっと羨ましい(?)気もするかな。幅広く面白がれてしまうのもちょっと考えものかもねえ^^;

お金が入ってくるとめっちゃ嬉しい

販売中の「タイムロジック3rd Edition」なんですけどね、何だかんだで少しずつ売れてちょくちょくお金が入ってくるんですよ。これがもうめちゃくちゃ嬉しいんです(直球)。もうヒャッハーって感じでテンション上がりまくりますね(これじゃだいぶ危ない人だな^w^;)
でも大真面目な話、お金がたくさん入ってくれば、その分、もっと多くのお客さんに楽しんでもらうことができますからね~。
お金は大事。超大事。すごく大事。


「お金は汚い」「お金持ちは悪い奴だ」と教わった人も多いと思うけど、僕の意見は違っていて


「お金は汚い」→人を騙したり不幸に陥れて稼ぐお金が汚いだけ。そもそもお金は単なる「道具」。いい悪いもない。
人を幸せにする使い方をすればよいだけの話。よって自分のまっとうな技量によって得られる対価は大いに誇りをもって良し。


「お金持ちは悪い奴だ」→確かにそういう人もいるかもだけど、少なくとも僕が出会ったことのあるお金持ちは「優しい(他人に親身に寄り添える)、視野が広い(普段から勉強家)、行動力がある(その思い切りの良さが周りに勇気を与える)」の三拍子そろっている、一言でいえば「めっちゃいい人」がほとんど。たぶんそういう人の方が多いんじゃないかと思う。
だってお金を稼ぐには人脈や情報が必要不可欠だけど、むちゃくちゃ評判悪い人にわざわざ良い人や良い情報が集まってくる?
お金持ちって実際のところは、かなり魅力的な人が多いんじゃないかと思うな。


一昔前は個人が商売するのは珍しかったかもしれないけど、今はむしろそれが当たり前な時代にどんどんなっている。
ゲームアセットとかもそう。たとえばRPGMaker界隈は一昔前は「フリー素材」がほとんどだったけど、今はアセット制作者さんは有料で依頼を受けたり、素材を販売している人も多いからねえ。


三方良し(自分良し・相手良し・社会良し)さえ守っていれば、お金はちーっとも汚くなんかないと思うかな!

たぶん夜明け前が一番暗いのだ

僕の人生には停滞期もあって(まあ率直に言うと"うつ"だ)、その時はそれはそれは苦しみに苦しみ抜いた。精神的にやられて、しかも仕事が続けられないわけだから、経済苦も同時に襲ってくる。そりゃあ苦しくないわけがない。
僕は幸い周囲の人に恵まれていたので良かったが、そんな状態で孤立無援になったら死にたくもなってくる。

で、そんな「学校を卒業して良い会社に就職して、経験を積んでステップアップして…」なんて順風満帆なコースから外れた僕は、その時期に色々な人に出会った。
世の中は広い。表になかなか出ないだけで、面白い人は世界にも、もちろん日本にもたくさんいる。

僕が特に印象に残っている人は、40歳を過ぎてから海外移住をした人だ。日本では仕事等がなかなか続けられず苦労された方だが、こつこつと腕を磨き、自分の食い扶持を自分で稼げるようになり、今は日本を離れ、自分が暮らしやすい国で暮らしている。
今でこそ、そのような生き方をしている人も多いことを知っているが、停滞期当時の僕にとってはあまりにも衝撃的で、それはもうびっくり仰天したものだ。正解とされる生き方は一つではないという、今の僕には当たり前となった価値観を教えてくれた。

他にも、会社を辞めて経営者になった方とも出会ったし(※2022年現在もその人は元気!)、"うつ"になったからこそ見えてきたものは、たくさんある。

で、その停滞期から徐々に復活して、僕が形成していった価値観は

「死ぬ前に『まあ色々あったけど、俺、別に後悔してねえし、俺の人生、ちゃんと生きたぜ!』って言えればそれでいいんじゃねえの?」

ということだ。
このバカでかい地球に70億人以上の人間がいるわけで、自分一人なんてどうあがいても米粒みたいなもんだ。深く考えるのも面倒だし、じゃあもっと気楽に日々を楽しんでいこうぜってこと。

もちろんそこまで簡単に割り切れることではないことは痛いほどよくわかるし、僕ももしかするとまた大きな停滞期を経験するかもしれないけど、夜明け前が一番暗いという事実("事実"と言って差し支えないと思う)を胸に抱き、人生を悔いなく生きたいものだね。

人間は本人に向いていることをやらないといずれ病むかもな、と思う話

僕はゲーム制作をしている期間はわりと長く、長くやっていればたまにスランプはある。だけど筆を折ったり…とか、そこまで激しいものになったことはない。

Twitterのタイムラインを見ていると、自分が創作する意味が分からなくなったり、膨大な時間をかけてゲ制したことに対して虚無感を感じてしまう人をたまに見かける。
僕の体感だけど、そういう人は「承認欲求」が強めな人が多いかもしれない。

別に虚しさや絶望感を感じている人がダメというわけではないし、他者からの承認が欲しい人を僕は否定する気は全くないのだけど(というか人それぞれ価値観が違うので良いも悪いもなく、僕は他人の価値観にそこまで執拗な興味がわかない。それぞれが自分の思考を大事にして生きたらいいと思っているので。)、承認欲求が強いと、どうしても「他人に振り回される」人生にはなりそう。

この働きがプラスとなれば、社会的地位やら何やらを求めてパワーが出せるかもしれないけど、ひとたびマイナス方向に働けば、他人の評価に振り回されて、自分が本当は何を望んでいるかが分からなくなってしまう。混乱してしまう。パニックになってしまう。
で、ストレスを抱えて病む。

心が折れそうになったり充実感を感じられなくなった人は、いったん深呼吸して、自分の心の在り方を再確認する時間を長めにとった方がよいかもしれないですね。ノートに不安なことや改善したら自分が楽しくなるようなことを書き出してみるとか、可視化するとけっこう有効ですね。
「急がば回れ」で、一見無駄とも思える内省の時間が後で活きてくることも多いですからねえ。

僕がつくづく思うのは、人間は本人が向いていることをやらないと相性の良い人に出会いにくかったり、ウツになったりしやすいなということ。言い換えれば「死」の方向に加速するということ。
本人の性質に合わないことをやっている人は、ストレスで白髪が増えたり肌が荒れたりして、実年齢より老けて見えることが多いですね…あれも「老化スピードが早い=急速に死に向かっている」とも言えるかも。

「承認欲求」強めな人・欲しい人で他人の価値観にどうしても振り回されてしまっている人は、思い切ってそれを手放してみると、意外と簡単に欲しかったものが手に入るかもしれないですね。執着するから、相手は離れていく。手放すと、向こうからやってくる。

そういえば100歳以上まで生きた僕のばーちゃんも、晩年は執着のなかった人だったと思う。80歳くらいのとき「もう十分生きたから、いつお迎えが来てもいいんだよ」と笑顔で言っていたのを記憶していますが、それから20年も元気に生きた。認知症にもならずに。
「死」を恐れるあまり「生」がスポイルされてしまうのではなく、「生への執着」を手放したがゆえに、尋常ならざる生命力で晩節を汚さず生きたのかもしれないですね。

自分を縛っている何かへの執着を手放すと、自分が本来持っている生命力が湧いてきて、たくましく生きられるようになりそうだ。

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個人ゲーム制作者です。
主にUnityとRPGMakerを使用してRPGを制作・販売しています。

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